吐き出し現場

自分しか分からない意味不ブログ。たまに日々の記録。たまに一人反省会。

好きとか趣味とか。

 

昔からうっすら思っていたことなんだけれど、色々な人が自称する趣味も好きな●●とかもすべて、思い込み精神と言うか・・・

 

○○が好きな自分が好きなんだろ。というような面倒くさい意見を言いたいわけじゃないけれど、己の部分も含め、何を基準に何を考え好きをアピールしているんだろうと思う。

 

そもそもファンの定義ってなんだ。どこからがツウだと言えるのか。ある程度お金をつぎ込んだり等の行為をしなければ好きだと言ってはいけないのだろうか。そんなことはなくても風潮はある気がする。

 

何かを好きで何かを追っかけていないとつまらない人間なのか。

 

依存先は人それぞれだから考えたところで答えが出ないことはわかっている。

 

しかし、好きだと安易に言えないなって無意識に感じることが地味にストレスだったりする。(ほら一定数自分が古株だとなぜか主張するやつ、いるじゃないですか。

 

にわかだと後ろ指刺さされるだとか、変な趣味に引かれる心配だとかが心底面倒なのかも。

 

 

学生の頃は、ある芸能人やバンドに本気で依存してそんな自分を表に出していたこともある。

それと同時に熱が覚めた時の喪失感(までは行かないけれど)みたいなものも幾度となく経験している。

 

自分はもう一定のグループ、アーティスト作品にのめり込める心はないのかもしれない。

 

 

いろんなことがアッサリと好きな人間にもそれなりの人権をください。笑

 

最近はもう本当に心が冷え切っていて。

 

一般人はアーティストやアイドルの綺麗な上澄み部分しか見えない。当たり前だけれど

その状況で、そのアーティストの全てを知っている。自分が一番よく分かっている。

 

なんて思い込んで、お金を費やしたり時間を費やしたり。よく考えたら虚しいって思わなくもない。活力を与えてもらうこともあるし、もちろん、素晴らしいことだ。

 

だからと言ってそんな綺麗なことだけを己の脳内で唱え続け、誰かに自分を投影するだけの自分ってのに目を向けないのもおかしな話だ。

 

アーティストとファン。っていう構造を馬鹿にしたいわけでもなんでもない。

そんなの誰も幸せにならないしなぁ

 

 

 

だけど最近馬鹿みたいに単純なことを考えてしまうわ。

 

好きな気持ちの正体ってなんなんだろうな一体

 

いつかは飽きることへの不安、って皆はないのだろうか。